うたもちハキダメ処

日々思ったこと、考えたこと、愚痴、みた映画の感想など、色々書くスペース。

考え事:夜という甘い誘惑

 

 

当たり前のように土日祝休みだ。

土日は、生活習慣が乱れる。

 

平日だってそうだ。

僕は夜が好きだ。

 

高揚感がする。考え事が捗る。やっとこさ眠くなってきたときにこしらえた詩が、朝や昼に書くものより良い気がする。

 

身体も熱くなる。

体内の暖炉に薪をくべているのは誰だろう。

 

映画を見たい、本を読みたい、絵を描きたい、詩を書きたい、そんなことが溢れて、溺れそうになりながら、土曜日は良く朝を迎えてしまう。

 

甘い誘惑は夜にいつもやってくる。

こちらに向かって 手招きする。

深い闇の中 「明日の朝の光などないよ」と囁く。

でも朝日が登ってしまう。くそったれと感じる。

 

何をしようか、今悩んでいる。

楽しみはたくさんある。

それに手を付けてしまったら、眠れないのだろう。

朝に寝て夕方に起きるのは、あまりにももったいなさすぎる。

 

夜は、多分家の外が静かだから好きだ。

24時間営業とかの店以外は、みんな閉まっている。

子供の頃から、深夜が好きだ。

そして、僕は誘惑に、いつまでも弱い。

 

 

 

映画:「イコライザー2」と、今日買った(借りた)DVD&Blu-ray。

 

 

ゲオに行く。とても楽しい行為だ。

で、最初デパルマの「 リダクテッド 真実の価値 」だけを借りに行ったのだけども、「イコライザー」が大好きだったんで、続編の「イコライザー2」も借りた。

二つ借りて、二百円+ラムネを買った。

 

それから、一駅離れたブックオフに向かい、途中畑の前にあった販売所できゅうりとニンニクを買った。

ブックオフに着くと、これまた楽しい。

 

気になっていたデパルマの(超絶酷評されたらしい。この映画のおかげでハリウッドから干されたとかウィキに書いてあった)「ミッション・トゥ・マーズ」、

大好きな映画の「コンスタンティン」、

セサミストリートで有名なジム・ヘンソンが監督の「ダーククリスタル」、

悪魔のいけにえ(✌️)のトビー・フーバー監督「スペースバンパイア」を買った。

 

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帰りにプラモ屋さんに寄って(冷やかし。R2-D2が欲しかった…)、ピザ屋に行って、帰って「イコライザー2」を観た。

 

観る前の想像は、ジョン・ウィックの2みたいに話がでっかくなって、少々退屈な作品になるんじゃないかなと思ってしまっていた。

続編を作る際、アクションの要素がたっぷりになって、ドラマが減る、というの良くあることだ。それはそれで良いし、楽しいし、スカッとするんだけども。

 

でもナメてました。一作目よりも色々な分量は増えているものの、ドラマもさらに重厚になったと思った。

冒頭、マッコールが「マッコールしている」場面(ここからしびれた。マッコールの几帳面さ、ストップウォッチ、顎髭、全てかっこいい!)の後はほとんど群像劇みたいだし、タクシーの運ちゃんの人情話みたいに進んでいた。そして途中途中、「マッコールしている」のだ。

 

(「マッコールしている」というのは、彼がとんでもない強さを発揮する、という意味。

あまり深く考えずに使っている)

 

話が進んでいき、ある人がああなってしまい、前作から好きだったので、めちゃくちゃ悲しかった。

前作のクロエ・グレース・モレッツのような役割で、黒人の男の子との交流も描かれ、そこも良かった。

 

内容をぼやかし過ぎているので良くわかんなくなってしまったけど、とりあえず一作目と同じくらい面白かったので、一作目が好きな方は、観た方が良いと思う。

 

渋く、重厚になり、嫁は「あんまりスカッとはしなかった」と言っていたが、前作と同じくらい好きになったと言っていた。僕も、一作目と同じくらい大好きだ。

 

ラストにかけて熱くなる映画。

 

 

考え事:絵本やらイラストやら絵やら何やら

 

 

美の巨人たちの、いわさきちひろの回を見た。

前から好きだったので、興味を持って見た。

生まれなどは何にも知らなかった。

もっと最近の絵本作家だと思っていた。

 

僕は子供の絵が不得意だ。

だからこそ惹かれるんだと思う。ずっと見ていたくなるような絵だ。

 

習作が特に凄いと思った。

子供の動き、柔らかさ、仕草、なんだかあのポカポカした太陽のようなかおりまで、全て捉えているように感じた。

絵本以外の絵もお洒落だった。

 

僕がもし絵本を描けたとしたら、それは子供向けでなければならないと感じている。

しかし、子供に向けて、何を言えるか?ということを考えてしまう。

いわさきちひろの作品を見ると、そうではないと教えられる気がする。

子供と同じ目線、というのが一番自然な形なのかも知れない。

 

 

エドワード・ゴーリーも好きなのだけど、まっっっったく違うな(笑)

 

安野光雅とかも好き。表紙や挿絵だけど、星新一が好きなので、真鍋博和田誠ヒサクニヒコも好き。

 

 

考え事:詩の無間地獄2

 

 

詩を語ると、誰かは詩から離れていく。

それでも僕は語らずにはいられないから、語る。

 

ブコウスキーの詩集は、日本語訳のせいもあるかもしれないけど、濃厚になった短編小説のさらに短くなったバージョンだと思った。

しつこいかも知れないけど、本当に面白い。

 

そして気になったことがある。

現在販売されている詩の雑誌の中の詩を読むと、漂白された世界のように見え、誰も実在していないように感じた。

 

誰も人を本当には殴らないし、誰も人を貶さないし、誰も酔っ払って失敗することもないし、誰も女にひどいことを言うことはない。

 

詩人の生き方というのはどういうものだろうと思った。作品に作り手の全てが表されるわけもなく、作品と別個のものだと思う。それはわかっちゃいる。

しかし、詩人らしい生き方があるとして、それは今では古臭くなっているのではないだろうか。

そもそも、ブコウスキーの人生が詩人らしいかというのも、わからない。

 

絶大な人気を誇る古い文豪たちは、わりととんでもない人生を歩んでたりするし、薬物や酒でダメになったりもする。

 

もしかしたら綺麗な詩を書く詩人は、実際には荒れた生活を送っているのかも知れない。

今は、自分の心情の弱さだけを並べ、自分は人と同じだと証明出来る方が、読者がつくのかも知れない。

 

良い悪いではない。

僕が全て間違っているのだ。

何故なら、そんな風に見えるのは僕だけだろうから。

 

ブコウスキーのようになりたくはないし、ブコウスキーと同じようなことをしたからって認めるわけでもない。

生き様という概念が、もう古くなってしまっているだけなのだ。

 

だから僕の詩も、漂白されているのかも知れない。

僕が意図するとおりに詩の解釈をされるとも思っていない。

 

何が言いたいかっていうと、人間らしさや、それ故の間違いが許されないのが、現在なんだなぁと、詩を読んでいても思う。

人に悪口を言うとか迷惑をかけるとか、そういうことが「良い」とは思えない。

しかし、それがない人間なんていないはずなのに、もはや詩人以外も、ほとんどの人が人間に人間を求めていないと思う。

 

作品に人間を求めないのと同じように。

映画や小説はどうなのだろうか?僕が見る限りだと、映画はまだ人間を求めている気がする。

それはそうだ。映像として映るから、人間が人間でないと不自然だからだ。

 

詩は、もはや自我でしか無くなってきているのではないだろうか。

自我ではなく、それを飛び越えた目線の詩は好きなのだけども。

例えば、事象を淡々と述べる。とか。

 

自我を映し出す詩は、人間的でない。

何故だろう?と思ったけど、「見られたい自分」の存在に気がつくからである。

 

どうでも良いことだけど、考えたから書いた。

 

 

考え事:詩の無間地獄

 

 

毎日のように考えること。

 

僕の詩は面白いのかということ。

詩に関しては、暗がりから外を見上げるようにしていること。詩はこうであらなければならないみたいなのは、やっぱり流行が作っていくんだなということ。

 

きっと僕が若い女になり、言葉を綺麗に使えば、詩壇は僕を受け入れるんだろうということ。

若い男の詩人が詩壇にチヤホヤされる構図は見たことがないなということ。

受け入れられたくもチヤホヤされたくもないけど、分厚い壁の向こう側にあるのが詩壇であること。

詩壇に気に入られたければ、諦めずに媚び続けろ、ということ。

教科書を読みまくり、「日本人の奥ゆかしさと日本の美しさ」について研究せよということ。

僕はそんなことはしたくない、ということ。

 

僕は僕の詩を愛さなければならないこと。

それでも作品を我が子のように扱う人の気持ちはわからないこと。

 

詩が好きで好きでたまらないこと。しかしなんなのかよくわかっていないこと。

 

色々な人の詩を見て思うこと。それについて発言するのは、僕はしたくないなと思うこと。

 

Twitterでの詩のハッシュタグの向こう側には、かなり、、、、なものが多いこと。

やっぱり発言しちゃダメだなと思うこと。

 

僕は詩を書き続けていきたいということ。

いつか絶対に見返してやる、って思うけど誰に対してとか何に対してとか恨みがあるわけでなく、漠然とした気持ちでそこにあること。

 

無限地獄にいる。

僕は詩を書いて本当に良かった。

 

 

考え事:政治について

 

 

Twitterでは、1日に何度も政治についてのものを見かける。

僕はそれを見て、全部疑う。

 

ワイドショーでは、何故ダメな部分しか放送しないのだろう?

揚げ足取りとやいやい言うのが仕事だ!みたいな感じがする。それならそれで良いけどさ。

バイキングを何故だか毎日見てるけど、政治以外も偏っててあんまり好きじゃない。

多分、怖いもの見たさならぬ、嫌なもの見たさで見ていると思う。

 

僕の政治に対する感覚は、無に近い。

それはダメだと言われればダメだろうけど、日本のことより、やっぱり今日の昼ごはんのことの方が気になる。

 

結局、自分が救われなければ政治が悪い、と言う考え方になっていくのだと思う。

誹謗中傷(これに対するツイートも多くて、本当にゲンナリする。良い人ぶってんじゃねえ)しまくりじゃない?政治家も人じゃないのかねとも思う。

 

政治家になら何言っても良いと考えてはいませんか?という人を見ると、そっとミュートする。

僕は僕の体験することや考えることしか信用しない。考えることに関しては、たまに疑うことを忘れないでいたいとは思うけど。

 

無知であることは不利に働くかもしれないけど、誰がどんなことをしても文句を言う奴はいるので、ストレス発散に政治を使うなよと思う。

 

あと、アベノマスクは僕の顔にはかなりぴったりで良いと思う。

 

コロナとか、発言を出来る限りしないようにしていたけど、本当に鬱陶しい。

発狂する人がめちゃめちゃ多かった気がする。

 

人の自由だし、政治について何か言うことは良いのだろうけど、僕自身が派閥に入るのは嫌だなあ。

 

 

考え事:10回クイズ

 


僕は思ったことを結構言ってしまう方だ。

嫁は僕が見る限りでは、おそらく何かを言う前に(これは本当にこれで良いのだろうか?)と言う思考がきちんと備わっている。


昨日10回クイズをやった。脳トレみたいで楽しかった。


面白いのは、「思ったことを言う僕」より、「考えてから言う妻」の方が答えられなかった点。


そもそものクイズの問題や回答が不自然だったり、物自体を知らない場合は除くが、「ピザ」を10回言って、「じゃあここは?」と「ヒジ」を指し、「ヒザ」と言う間違えを導く。くらいの問題でも、嫁は間違えてしまった。


僕は10回言わされる内容をただの「音」として言っていたので、結構答えられた。

これは僕の方がスゲーって言うんじゃなくて、人間の得意、不得意って意外なところから分かるなってことだ。


「思ったことを言う僕」の方が、10回言った言葉に引っ張られそうな気がするのだけど、多分、「思ったこと」と「思ってないこと」を分離して処理するのに慣れていて、思ったことを言えない状態=「違和感」であり、引っ張られなかったのだろう。

それを深く深くまで考えてみると、僕は人間的に、やっぱり何か欠けている。だって、自分の思ったことを意外は「違和感」なのだろうから。他人の側に立って考えられないのかも知れない。


逆に「考えてから言う妻」は、10回言った言葉をしっかりと噛み締めてしまって、回答が引っ張られてしまったのだと思う。

これも考え込んでいくと、他人のどんな言葉でも、一度は自分のものとして処理出来るのではないだろうか?とすると、人間として信用が出来るのではないだろうか?


10回クイズでこんなことを考えても仕方ないとは思いつつ、楽しかったし、面白かったので、考えてみた。


実際にそうかもしれないし、そうでないかもしれない。

10回クイズはただの遊びだし、それで人間性を測るのは良くないかもしれない。


まあ、そんなこんなで、10回クイズ以外でも、今後もなぞなぞやクイズを出題し合って遊ぶのは、良い暇つぶしになりそうだ。