考え事:褒めかたの流儀
リツイートを辿って、なんとなく見たブログ。
比喩表現がいきすぎていて、気持ちが悪かった。
ある一定の層に定着している「尊い」という褒めかたも、僕は少し苦手だ。
「尊い」という表現の何が悪いのか、わからないけど、「尊い」と褒めているものは、自然に避けるようになる。
今日見たブログは、誰かを褒めるものだったけど、いちいちオーバーな表現をするのが、読んでいてとっても気味が悪かったのだ。(強調)
悪いわけじゃない。書いて良いし、バッシングよりマシだとも思える。
しかし、そのオーバーな表現で、ダメな方向に僕の「褒めていた誰か」に対する印象が変わってしまうのだ。
なので、これはファン同士での会話だと思えば良い。
でも少し残念なのは、本当は格好良いなと思ったとしても、「褒めかた」が鼻につくと、その対象さえも鼻についてしまうことが多々あることだ。
僕も気を付けなきゃだけど、誰かに何かを勧める時は、音楽ならば「ちょっと聞いてみてくれない?」と聞かせ、「どう?」と質問するくらいが、ちょうど良いのではないだろうか。
こんな風に書いてしまったけど、ある一定の層だけの暗号文であるということは重々承知しているので、僕が見なければ良いものではある。
映画:ミッション・トゥ・マーズ
ブライアン・デ・パルマの「ミッション・トゥ・マーズ」を観た。
まず初めに、僕はデパルマ(めんどくさいから、この表記で統一)が大好きだ。
なので、この映画に対しても、過度に擁護する形になってしまうと思う。
こういう感想を言うとき、どこからどこまでを言えば良いのかわからない。
起承転結のどこまでを言えば良いのかとか、結局観なきゃわからないんだから、ストーリーなんて書いても仕方ないと思う。
言い訳が済んだところで、わからないなりに、僕が思ったことを書き連ねてみようと思う。
この映画の最高な点は、ちょっと違かったかも。
僕が好きな「デパルマっている映画」は、「スカーフェイス」「ミッドナイトクロス」「カリートの道」あたりだ。
共通するものが何かとかあるけど、この話は別のところでしようと思う。
「アンタッチャブル」は名作だし、最高だとも思うし、誰にでも勧められる作品だけども、僕の中で一番ではない。
ひとつ挙げるとしたら、僕は「失う物語」が好きなのだ。
デパルマは、その場面でのアガり具合(サガり具合?)が半端じゃない。基本的に、悲劇が似合う監督なのだ。
今回の作品では、いつものモチーフである「何かを失った男」というものが出てくる。
彼が主人公だったとは(主人公は存在しないのかも)、最初気が付かなかった。
誰がいつ死ぬかわからない具合とか、良かった気がする。
でも、この映画は悲劇ではなかった。
SFの知識とかあまりないので映画内でどれほどの事態が起きても、その深刻さが伝わらない。
逆に、そのばかばかしさも、僕にとってはどうでも良い
突っ込みどころは、そりゃあったさ!!(笑)でもそんなに悪かったかな?とも思う。
僕が観たいデパルマの作品でなかっただけで、結構面白かったです。
これは的外れと言われても仕方ない。
でもわかりやすくしたら、こうじゃないかな?
プロフェッショナルが集まっている設定なので、誰もチームの輪を乱さない。
乱しかけるけど、強靭な精神力で元どおり。
あるショッキングな出来事が起きても、火星に着けば結構メンタルは回復する。
だって火星だぜ?イエーイとなれるわけだ。
アルマゲドンはたしか、隕石を爆破するために石油掘ってた奴ら行かせる映画だったような気がするので、それは大きな違いだけども。
淡々としていて、一番思い出したのは「サイレントランニング」だけども、あれは完全に途中から一人だったよな。
別の映画をおすすめするけど、これは面白いのでおすすめです。
リアリティ問題
この映画はトンデモ映画かも知れない。
それはわかっている。わかっちゃいるけども、それで何が悪いのだろう?
映画の内容が自分に合ってれば、ぶっ飛んだ展開も面白く感じられるのだ。
基本スーパーヒーローの映画はトンデモ映画だけど、大好きだし、人気だ。
この映画におけるそこら辺は、SF映画的には十分面白いと思う。
僕は、淡々と作業しているシーンも好きだ。
何をしているのか、何を言っているのか、よくわかんないんだけどね。
「モジュール」とか言ってたら、ちょっとらしいなというか(笑)
そこら辺は興味のあり方の違いだなとは思う。
なので、SFにリアリティを求めすぎちゃダメ。
「プロメテウス」?
ある一点のみ。
プロメテウスかよ(当然プロメテウスの方が新しいが、観た順番的に)と思う場面があった。
どちらも好きな作品になっている。
まあこれを言っちゃうと、完全に何かがバレるんだけども。
テイストはまったくちがう。
納得がいかないところ
この映画での好きなところは、最初のミッションが始まる前のパーティーシーンと、圧倒的な宇宙の未知の部分との対峙というのは描かれていて偉いなというところと、あいつがあーなっちゃうのがかなり良かったな、と思うところ。
パーティーシーンでは、色々な話が飛び交っていた。ごく普通の、所謂アメリカンな自宅バーベキューだ。そこに、少し暗い表情の男が来る。(何かあったのかな?)だんだん話がわかってくる。そして、「ミッションで会おうな」と言って、解散。ここまでのシーン、とても好きだ。
圧倒的な宇宙の広さとか冷たさとか怖さとか、そういうものがかなり良かった。火星についてからも、何が起こるのかワクワクした。
あいつがあーなっちゃう場面、「えっ」と思ったけど、後にも効いてくるし、すごく良かったと思う。「自己犠牲」はやっぱり好きかな。必要あったかな?とか思ってしまうのは、まあ無しにしよう。
納得がいかないところは、ただ一つ。
もっと悪趣味にして欲しかった…。
以上、長くなってしまいましたが、ミッション・トゥ・マーズ、面白かったです。
100点満点中、75点です。
考え事:「こっちは読まなくて良いです」とのこと。
僕は、こっちのブログは読んでもらわなくても良い。
むしろ、読んで貰わないためにこちらに書いているのだ。
Twitterで僕はいちいち言わなくて良いことばかり言うから、まとめて書いているだけ。
でも、それなら何故公開するのだろう?
という簡単な疑問が湧いてくる。
理由も簡単で、僕は常に考えたことを書き留めて置きたくて、同意してもらえることがあるなら、それはそれで幸せであるからだ。
同意は、個人的に最上級の難問だ。
全く考え方が同じがありえないとしても、現実で気の合う人なんてのは本当に本当に少ない。
僕が何気ない日常の中で思ったことに、少しでも同意してくれるのであれば、という、浅はかな望みを託しているのだと思う。
あと、今はTwitterをやりたい気分なんだと思う。
自分的には、適切な判断でブログを書いていると感じている。
でもその代わりと言っちゃなんだけど、詩の方は切実に読んで欲しい。
好きでも嫌いでも良いから、読んで貰うことって幸せなことだなと。
強制できないし、したくもない。
暇つぶしになるから、詩を読んでほしい、くらいに思う。
詩作、今は楽しい。
この期間が終わるのはいつだろうか。
楽しい期間と、楽しくない期間があり、そのコントラストは凄まじい
常に書いている人は、精神的に強いのかも知れない?
考え事:自分の活動領域について
詩集を作る、という目標をもとに、色々考えてみている。
一度完成品を作ってしまった方が、サンプルとして持っておける。
あとは売り込みだ。僕が放っておいても人が群がるカリスマ性の持ち主なら別だけど、読んでもらいたけりゃ宣伝するべき…だよなあ。
売り込みって、難しい。
僕の好きなように作ったものを、誰が読みたいなんて思うだろうか?
読んでもらいたいから詩を書くんじゃないんだよな、と矛盾が発生する。自分のためというのも、ちょっと違う気がする。
書きたいから書く、という衝動は、絵も同じだけど、自然に出てきてしまうものだよなあ。
でも、読んでもらいたいんだよな。矛盾矛盾。
これってどう解決出来るんだろう。
詩は、かなり限られた人に向けてしか発信出来ないのではないだろうか?
何しろ作らなきゃ。
作ってから考えれば良い。
でも焦るのは嫌いなので、ゆったり行こうと思う。
僕はこれからも、ゆったりじっくり考え、悩みながら生きていくんだと思う。
ポエトリーリーディングだって、いつかやるのかもな。
でもどうせだったら、歌詞を書いてみたいな、とも思う。
ポエトリーリーディングは作るなら映像作品のみ。
映像も、字幕も、自分で全て作る、というのなら、やってみたい。
現実に詩人に会えたら、と、どうしても思ってしまう。
僕の活動領域が、詩を書き始めた時と全く同じなのは、かなり問題だよな。
人付き合いが苦手なのだけども、そこは少しは能動的になった方が良いのかもしれないな。
あくまで、いたらの話だけど。
考え事:愛想について
僕は、自分を振り返って、愛想が良いのだろうか?と思う。
基本的に、「愛想」なんてものはくそったれい!だ。
なんでお前らの思い通りにならなければならない?って思って当然だと思う。
愛想良く、ってのは、絶対他人目線の言葉だ。
「愛想良くしろ」と言ってくる奴は、「自分の思い通りになれ」と同じことを言っている。
他人に自分の理想を押し付けながら、それとは違うその矛盾に戸惑うのだ。
まあ、恋人や結婚相手にそれを求めるのは「ある程度」は致し方ないとしても、僕は上司にさえ、そんな感情は要らないなと思ってしまう。
「愛想」と「奥ゆかしさ」は良く似ている。
そんなものは人間に要らない。
僕が誰にどう思われたところで、僕は僕のままで良いのだけど、勝手に物差しを作られて測られるのは、少し気分が悪いよな、と思う。
考え事:チョコボール
チョコボールが、あんだけあったチョコボールが、もうそろそろ食べ終わりそうだ。
ここ2、3日、もしくはそれ以上、チョコボールをたくさん食べてきた。
体調に異常が出るほどではないが、多分気が付いていないだけで、相当アレだと思う。
チョコボールに対する認識は、子供の頃はあまり良くなかった。
少ないし、エンゼルは当たらないし。
今回だって、「走るキョロちゃん」というワードを見なければ、飛び付かなかった。
キャラメルが好きだったっけ?と思ったけど、今は
1番「いちご」
2番「ピーナッツ」
3番「キャラメル」
4番「ラムネ」
5番「メロンソーダ」
のランキングになっている。
なくなりそうになると、ちょっと寂しい。
銀のエンゼル5枚と引き換えに、「走るキョロちゃん待ち」と「好きなチョコボールがわかる」という出来事が起こった。
ちょっと寂しいとか書いたけど、多分食べきったらもう当分チョコボールは食べたくない(笑)
考え事:おはようございます。
3時間くらい寝た。
もう起きてしまった。
今からもうずっと起きてしまおうか悩みどころだ。
やりたいことをやるなら、今起きるべきかも知れない。
Twitterを見る回数は、減ったようで大して変わらない。
結局Twitterに投稿して、僕もTwitterに書かれているあらゆる物を見る。
面白いもので、悩み事の方が注意深く見てしまう。
人の悩みを見て、自分はどうだろうと感じることが多い。
僕は何に対してもあまり考えてないのではないだろうか?とも思う。
好きなものに対してさえ、多分軽率だと思う。
それでも、それは人の言葉を見たときに思うことだ。
勘違いで、僕は考えなくて良いことまで考えている。
言わなくて良いことを言う。
それは、きっと意味があるのだと思う。
いつか覆っても良い言葉をたくさん言っておくと、後で振り返って今いる場所がマシに思えるのかも知れない(別に変わってないのだけど)。
たくさん愚痴っておくことで、その場を凌げる。
その場を凌ぐのは、生きる上でかけがえのないことだよ、と思う。
なので、「生活や生きることについて」全般のツイートは、共感をするだけでないかも知れないが、見ていて安堵してしまう部分がある。
それは、人それぞれがやっぱり、考えているとわかり、少しだけ希望が持てる気がするからだ。
僕は、現実にいる身近な人以外の人の悩みなど知らない。
多分教えてくれないし、教えなくても良い。
Twitterって、自分のことをあまり知らない人たちがいるのに、究極的にパーソナルになりがちなので、本当に面白い。
企業広告は、僕は嫌いなんだけどね。